キリスト教徒 Christian 2005 9 21
多くのイスラム教徒は、こう反論するでしょう。
「キリスト教国だって、戦争好きな国が多かった」。
そのとおり。
キリスト教国は、善悪二元論を超えられなかった。
善悪二元論は、ベター(better)であって、ベスト(best)ではない。
善悪二元論というものは、「常に悪がある」という考え方です。
こうした「常に悪がある」という考え方を取るならば、
「悪」を倒しても、「常に悪はないか」と探すことになります。
そして、「悪」がなければ、
「悪」を作ればいいという考え方にも発展する可能性があります。
ここに、悪魔がつけ込むチャンスができるのです。
歴史を振り返れば、「作られた戦争」というものが多かったでしょう。
そもそも、イエスキリストは、善悪二元論を説いたのでしょうか。
いや、むしろ、それを否定したのではないでしょうか。
「あなたがたも聞いているとおり、
『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。
敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさない。
あなたがたの天の父の子となるためである。
父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、
正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」
イエスキリストは、新しい契約と言ったのに、
新しい契約(新約聖書)を守らなかったキリスト教徒が、何と多かったことか。
もちろん、子供には、善悪二元論を教える必要があります。
しかし、大人は、善悪二元論を超える価値観を探さなければならない。
そのヒントが、新約聖書にあります。
ムハンマド Muhammad 2005 9 18
連日、ニュースで伝えられる「イラクの混乱」。
しかし、こうした混乱は、昔もあったのです。
ムハンマド(マホメット)が活躍した時代も、混乱していたのです。
宗教家であるムハンマドは、結局、軍事的な勝利によって、決着をつけたのです。
ムハンマドは、宗教家であると同時に、軍事的な英雄でした。
しかし、これが、ある意味で、中東に戦乱が多い原因になっているかもしれません。
イスラム教では、ムハンマドは、教祖ではなく、最後の預言者となっていますが、
こうした預言者の性格や性質が、その後のイスラム教に影響していると思います。
もちろん、イスラム教自体は、平和な宗教です。
しかし、宗教というものは、教祖(預言者)の影響が出るものです。
弟子は、教祖の行動を模倣する傾向があります。
ルターやカルヴァンが宗教改革を起こすことによって、
キリスト教国が、近代化の幕開けとなったように、
イスラム教においても、宗教改革が起きないと、
中東の近代化は、遠いかもしれません。
極端なことを言えば、ルターやカルヴァンの改革は、
宗教改革というよりも、新しいキリスト教を作ったようなものでした。
ムハンマド(マホメット)は、富の独占を批判し、審判の日が近いと説きました。
この教えは、貧民層などに、燎原の火のごとく広がっていきました。
しかし、これは、当時のメッカにおいて、
支配階級であった裕福な商人たちからは、危険思想とみなされました。
そこで、ムハンマドは、商人たちの迫害を逃れるために、
メディナへ移住したのです。
これが、622年の「ヒジュラ(聖遷)」です。